田舎に移住したワケ①
※初夏の洞爺湖と朝焼け
◻︎移住したい気持ちはずっとあった
けど、それは”いつか””歳をとったら”くらいでしか考えていなくて、若い間は難しいと思っていました。
10代の頃は、むしろ早く実家を飛び出して、都会に行きたいとばかり考えていました。実際に高校卒業後に住んでいた街は、山で暮らしていた僕には全てが新鮮で輝いて見えていました。出会う方達も、魅力的で面白くて、十人十色とはまさにこのことだ。って、田舎は一人が右向けばみんな向く。そんな気持ちでした。
あと、僕にとっては大都会でしたが、実際には中規模都市であり、自然も豊かだったのでストレスはあまり無かったのだと思う。
その後、僕は仕事を辞めて、ワーホリでオーストラリアに行きました。この話はまた今度。
オーストラリアで現在のパートナーと出会い、帰国後は彼女の故郷札幌で暮らすことにしました。
今まで田舎やそこまで大きくない街で暮らしてきたので、札幌は僕が暮らした場所の中では1番都会でした。
たくさんの人、大きな建物、繁華街、初めて経験する満員電車など、圧倒され続けていました。
◻︎帰国後は札幌に移住
最初は余裕こいて、平気なフリをしていましたが、実際はストレスでしかなかったです。仕事以外で街に出ることが嫌になり、僕は休日を家の中で過ごすようになりました。特にゲームにハマってしまい、平日も深夜どころか早朝までゲームをすることもしばしば。。。
パートナーとの会話も減り、心身ともに落ちていく一方でした。
たまにですが、札幌からニセコや洞爺湖の方にドライブすることはありました。
その度に、北海道の雄大な大地や自然の豊かさに癒され、いつかはこういった場所に住みたいなと思っていました。
コロナ禍になり、仕事がリモートになったり、休みが増えたり、、、
期間は僕にとっては人生を見つめ直すいい時期でした。
今すぐは無理でも、自分で仕事が獲れるようになるスキルを身につける。リモートでできる業種。
まずは会社に入り、経験を積み、いつかは独立し、田舎に移住する。
◻︎コロナ禍を機にWeb制作の勉強開始
前々から興味はありましたが、ハードルが高そうで手を出せずじまいでした。
性格上、コツコツと作業をすることが好きなので、Web制作の勉強は苦ではなかったです。
少しずつですが、効率良くコーディングができるようになり、都度味わう達成感がモチベになっていました。
そしてこのポートフォリオの原型となる自己紹介サイトなるものを作り、転職活動を開始しました。
転職エージェント含め、30社ほど応募したと思います。そのうち、1次審査に合格したのが4社。
4社とも2次は面接でした。そのうち、採用をいただけたのが3社でした。
そのうちの1社は実際に配属先の上司となる方との面接があり、とても話しやすく人間味がある方だったのでそこに決めました。
なんとか転職ができて、ホッとするのも束の間、会社のコーディングのルールや、プロジェクトによっても命名規則やガイドラインがガラってとかわる。
僕が勉強してきたことはほんの一部で、入社後は退勤後もインプットする時間が増え大変でしたが、充実していました。
基本リモートだったので、毎朝の満員電車のストレスもなくなりました。
それにいつか独立して田舎に住むという目標が起動源であり、僕を動かし続けてくれました。
そんな中、コロナが5類に変わり、久しぶりに実家に帰省しました。
相変わらず美しい自然、高校卒業するまで本当に恵まれた環境の中で生活ができていたんだと改めて実感しました。
実家で都会の喧騒もなくボーっとする時間。
心体共に癒されている気がしました。
そんな時に父親との会話で初耳のワードが出てきました。
「地域おこし協力隊」
ちょっと長くなったので、一旦ここまでとさせていただきます。