田舎に移住したワケ②
※春先の洞爺湖
◻︎地域おこし協力隊制度を知る
前回からの続き。
そんな日々を過ごす中、コロナ禍以降、数年ぶりに実家に帰省したときのこと。
父との会話の中で「地域おこし協力隊」という言葉を初めて耳にしました。
都会から協力隊の人が来ており、廃校になった地元の小学校を改築し、多目的に使用できるスペースを作っているという話でした。
「地域おこし協力隊」という言葉すら知らなかった私は、札幌に戻ったあとすぐに協力隊の制度について調べ始めました。
北海道の田舎に住みたいという私には有効活用できる制度だ。
田舎に移住することは、しようと思えばできるけど、
いきなり他所から知らない人間が来ることに対して田舎の人間は抵抗があるのでは?という不安もあり、
まずは自分を周知するという点では、活用しやすい制度ではないのかなと思いました。
◻︎田舎への移住は元々考えていた
私は札幌に来た当初から田舎での生活に興味を持っていましたが、仕事や生活についての課題がありました。
仕事はあるのか?住む場所は?
私がプログラミングを独学で習得し、Web制作会社に勤めていたのは、ネット環境を活用して場所に縛られず仕事ができるようになれば田舎に移住しても問題ないと考えていたからです。
しかし、独立するためには現場での経験がまだまだ必要で、田舎への移住は数年先だと考えていました。
この部分も一時的に解消できる協力隊制度がより魅力的な存在になっていました。
◻︎制度を利用して移住を決意、壮瞥町に決めた理由
ライフスタイルが乱れ始めていた私は、この制度を利用して田舎に移住することを決意しました。
パートナーに話すと条件がありましたが、同意してくれました。
条件に合う募集を探していたとき、目に留まったのが「火山のまちでリポーター」という文字でした。
洞爺湖に行くこともあり、壮瞥町や昭和新山のことは知っていましたが、壮瞥町に実際訪れたことはほぼありませんでした。
壮瞥町について調べていくと、私の故郷と似ている点がいくつかありました。
スキー場や町出身のお相撲さんがいること、渓流釣りができること、町の風景もどことなく似ていることです。
ただし、故郷に火山はありませんが。笑
さらに協力隊の業務として、SNSや広報のサポートやホームページの更新など、私なら貢献できると感じました。
また、北海道で渓流釣りをしたいと思っていたので、洞爺湖の存在も大きな魅力でした(ゲームに夢中でできずにいました)。
この募集を見つけたその日に履歴書とレポート資料を作成し、すぐに応募しました。
そして、現在は地域おこし協力隊として壮瞥町で活動しています。